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2015年2月

2015年2月 3日 (火)

世界の苦悩、そして日本の苦悩

今、世界中が「解」を見つけられず、苦悩しているのだと思う。
あらゆる難問に「解」が見つからない。
いろいろやってみたけど、事態は改善しない。収拾つかない。
何が正しい「解」なのか分からない。
時間ばかり過ぎていく。
時間とともにその難問によって生まれる犠牲者が増えていく。
「解」を見つけなければ、ますます犠牲者は増える。
ただ手をこまねいているのではなく、
いろいろやっているのだが、目覚しい効果はない。
成果が乏しい。
かえって事態を悪化させているのでは?と思うことも。

どうしたらいいのか・・・
とりあえず今やっていることを続けていくしかないだろう
と惰性に陥る。
現状を甘受せざるをえない状況。
はっきりと特効薬とは思っていなくても続けるしか・・・

苦悩が続く・・・

そんな時、人は往々にして「英雄」を求める。
「英雄」が快刀乱麻、あらゆる難問を
バッサバッサと解決してくれる、そんなことを夢見る。
スーパーマン?
スパイダーマン?
水戸黄門?
大岡越前?
しかし、そんな「英雄」なんて生まれてくるわけがない。
非現実的だ。
それはハリウッドか、時代劇の話だ。
そんなこと期待しない方が良い。

難問が山積し、一向に解決の方向に向かわない
というこのじれったさ。
モヤモヤ感。
すっきりしたい。
誰かすっきりさせて。
と人々は願う。
そんなとき過激な思想・過激な言動が時として人気を博す。
過激な思想・過激な言動にうっとりする。
すがりたくなる。
スッキリするから。
爽快だから。
勇ましいから。
大してそんな風に思っていなかった人までも、
その爽快さに酔いしれ、信奉者に変身してしまう。

でも、本当に「過激」が事態を収拾してくれるのか?
現実問題の「解」になっているのか?

難しい時代だ。
世界中が、日本国内が難しい時代を歩んでいる。
あらゆる難問に「解」がない時代だ。

どうしたらいいのか?
そんな時代を平和に生きていくためにはどうすりゃいいんだ?
たぶんキーワードは「寛容」と「対話」なんだと思う。
大きな心でいっぱいいっぱい話し合うことなんだと思う。
相手を理解し、受け入れて、そして少しづつ話していく、
会話していく、対話していくことなんだと思う。

拙速はいかん。
排除はいかん。
単純化はいかん。
切り捨てちゃいかん。
みんな色々なんだから。

お互い話してこそ次に進める。
お互い話してこそ理解が進む。
黙っていては分かり合えない。

じっくり進もう。
ゆっくり進もう。
「解」なんてすぐには見つからない。
だからこそ、みんなでたくさん話し合って、
ゆっくり「解」を探しあおう。
そういうことなんだと思う。

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