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2010年3月28日 (日)

「たまゆら」火災事件から考える。

入所のお年寄りら10人が死亡した「たまゆら」の火災から1年。
人生の最後がこんな形になってしまった方々のことが気の毒でならない。
政治や行政は、この悲しくて痛ましい事件から何を感じ取らなければいけないか?
「たまゆら」のような無届施設に頼らざるをえなかった現実を
どう見るのか?

東京新聞で7回にわたって連載された
「流老(るろう)の果て~たまゆら火災1年~」
の一部を紹介します。

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火事で亡くなったYさん(新聞報道では実名)。享年84歳。
ご夫婦で宮城県富谷町で食堂を営んでいた。店は繁盛した。
夫の胃がん手術を機に店をたたんだ。
2002年、娘がいるからと東京都墨田区に引っ越した。
手元には十分な蓄えがあった。年金もあてにできた。
やがて夫は死去。
平凡な暮らしは夫とともに消えた。
慣れない東京暮らしの寂しさが追い打ちをかけた。
独りぼっちになったYさんに認知症が襲う。
いつの間にか蓄え、年金もなくなり、生活保護に。
頼って行った娘(養女)も経済的に苦しかった。
認知症で危うい生活を続けるYさんを
近所の住民は放置できなくなった。
通報を受けた区は介護施設を探した。
しかし、他人に触られることを極端に嫌がる強迫神経症のせいで、
どこも受け入れ拒否。
困った区が最後に頼ったのが、当時の“行き場のない”人たちを
快く受け入れた「たまゆら」だった。

起訴された理事長(85)が運営する群馬県渋川市の
無届け施設「静養ホームたまゆら」。
火災2ヶ月前の時点で、生活保護を受ける高齢者や障害者ら計24人が入所。
入所者50人中33人が都内から送り込まれた方。
その8割が生活保護受給者。
施設側の不十分なスタッフ態勢。
日中は施設長のほか事務、調理の職員が3人。
入所の男性が路上で倒れているのを発見した近所の住民が
救急車を呼んで施設へ連絡したところ、職員は
「食事の準備が忙しくて行けない」と答えた。
人手が回らない。
火災は職員が1人になる夜中に発生した。

火災の被害が集中したのは別館。
理事長が日曜大工で違法な増改築を繰り返した建物だった。
理事長は「もともと貧しい人を助ける救護ホームで、
本来は介護するための施設ではなかった」
と明かした。
いつの間にか都会から厄介払いされた「処遇困難ケース」の
高齢者たちの終の棲家にされていた。

生き残ったSさん(65)。
30代で脳卒中を発症、病院や福祉施設を転々、
最後に行き着いたのが「たまゆら」。
火災後の記者会見で自らの責任を認め、
頭を下げる理事長を見て、Sさんはつぶやく。
「たまゆらがなければ私たちは野垂れ死んでいた」

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政治が、世の中から気の毒な話をぜんぶ取り除くことができたなら・・・
政治が、世の中の不幸をぜんぶ失くせたら・・・
残念ながらそんなことは無理な話。
そんなに万能ではない。
でも、少なくともこのような事件が二度と起こらないよう
政治と行政が最善を尽くさなきゃ。
どんな制度を作れば良いのか?

ますます高齢化する日本。
その高齢者の孤独や貧困の問題は待ったなし。
「たまゆら」のような事件がもう二度と起こらないと言えるのか。
無届施設「たまゆら」に頼らなくてもいいような行政サービスはどういうものか?
納税者から集めた有限資源(税金)。
どこに使うべきなのか?

またしても煩悶が続く・・・

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